歴史
北桧山区
旧北檜山町は阿波の浄瑠璃の影響を受けた最北端の町。明治24(1891)年に徳島県から入植した人々が、明治30(1897)年頃「真駒内浄瑠璃一座」を作る。入植者の中には、三味線の弾き語りや人形使いのプロ級の名手といわれた「赤亦貞蔵・広蔵兄弟」がいたこともあり、廃業した淡路島の人形一座から人形40体を譲り受け生業を開始し、大正末期まで好評を博した。いろいろな娯楽の普及により一座は衰退をたどり、共同財産であった人形も分散したが、昭和50(1975)年、一座の子孫により人形が町に寄贈され、町指定有形文化財として大切に保管・展示されている。人形の製作者は、徳島県の人形師である初代「天狗久」で、初代~三代の天狗久が作った人形及びその道具1158点が「阿波人形師(天狗屋)の製作用品及び製品」として国の重要有形民俗文化財に指定されており、貴重なものである。