歴史
瀬棚区
日本初の公許女医第一号となった『荻野吟子』は、理想郷の建設を夢見て移住した夫の志方之善の後を追って北海道に移住。その後の明治30(1897)年に瀬棚村(現在の瀬棚区本町)で産科・小児科荻野医院を開業。開拓移民の医療に従事するとともに淑徳婦人会を結成し、病気や怪我、災害時の対処方法を教えたとされる。旧瀬棚村の医療・文化・教育面につくした輝かしい功績を後世に永く伝える為、せたな町ゆかりの偉人として記念碑や資料館を町内3か所に設置。昭和51(1976)年に吟子が瀬棚で詠んだ詩と「荻野吟子開業の地」標柱を建立、昭和42(1968)年北海道開道100年を記念して女史の顕彰碑を建立、その後顕彰碑は平成12(2000)年6月に移設され「荻野吟子公園」として整備。生涯学習センターでは資料展示室を設け、吟子が日常生活で使用した遺品や貴重な資料が展示されている。現在吟子の名は、地酒の銘柄「吟子物語」となり、また、せたな町立国保病院瀬棚診療所は「荻野吟子記念せたな町医療センター」として町民に親しまれている。